【久留米市美術館展覧会】顕神の夢―幻視の表現者―村山槐多、関根正二から現代まで

【久留米市美術館展覧会】顕神の夢―幻視の表現者―村山槐多、関根正二から現代まで

幻覚を見たり、憑依されるといった霊的体験を通して描かれた作品を多数展示!この展示会で『何か』を感じて見て下さい!

人知を超えた「何か」の訪れにより得た霊的な体験を、創作のモチベーションとする表現者たちがいます。その「何か」をとらえようと焦がれ、制作に向かう彼らの心情を、本展では仮に「顕神の夢」と名付られました。

「何か」に憑かれ媒体となって私たちの世界へと繋ぐ行為、「何か」からの干渉を感知し幻視体験を通して得たヴィジョン、また直接感得した神仏のイメージの図像化などから生み出された作品の数々。本展では5章構成で51名の作品を紹介し、超越的な存在との関わりを基点とする、いわば「霊性の尺度」で見直すことで、その豊かな力の再発見、再認識を試みます。

★見どころ-見神者たち-

得体の知れない、人間を超えた存在。「神」とみなされることもあるその「何か」に見出され、媒介者としての役割を果たす、宗教家、霊媒気質の表現者たちがいます。神懸かりによって「何か」の言葉を自動書記で記した出口なお(1837-1918)、憑依中、わずかな時間で三貴神像を描きあげたという岡本天明(1897-1963)。カンカカリャ(神懸かり)である宮川隆(1955-)の作品には文字とも絵とも判別しがたいものが現れています。

▶出品作家:出口なお、出口王仁三郎、岡本天明、金井南龍、宮川隆、三輪洸旗

幻視の画家たち

「何か」が訪れたとき、表現者たちに幻が顕れます。彼らには尋常ならざる感覚があり、幻視、ときに幻聴として意識されます。宗教的なビジョンもまた制作の重要なモチベーションとなります。萬鐵五郎(1885-1927 )の描いた《かなきり声の風景》は、風景画でありながら、まるで生き物がうごめいているようです。画家の内側から聴こえてくる見えざるものを反映しているのかもしれません。

▶出品作家:村山槐多、関根正二、河野通勢、萬鐵五郎、古賀春江、高橋忠彌、三輪田俊助、芥川麟太郎、内田あぐり、藤山ハン、庄司朝美、八島正明、花沢忍

内的光を求めて

網膜に映る光ではなく不可視の光、つまり心に浮かんだ霊的光とも言える内的なものを第三者にも「見える」ようにするために、表現者は色彩に変換し、絵画化します。その作品は、超感覚的な「響き」を伴う色彩で描かれます。石塚雅子(1965-)は奏者としての一面も持ち、それは内的な光と無関係ではなく、見えざる「何か」からもたらされた「響き」がその画面に出現しています。一方、横尾龍彦(1928-2015)の画面には内的な光、つまり内にうごめく情動が龍として顕れています。

▶出品作家:横尾龍彦、藤白尊、上田葉介、黒須信雄、橋本倫、石塚雅子

神・仏・魔を描く

直接的に神仏を感得し、絵や彫刻というかたちに留めた表現者たちによって、そのヴィジョンを通した独自の図像が生みだされました。図像には彼らの内面が投影されますが、「何か」は神や仏としてのみならず、魔としても現れました。牧島如鳩(1892-1975)の《魚籃観音像》には魚籃観音を中心に天女やマリア、天使が同画面に描かれており、仏教やキリスト教および神道にも通じていた牧島独自の図像となっています。

▶出品作家:円空、橋本平八、髙島野十郎、藤井達吉、秦テルヲ、長安右衛門、平野杏子、牧島如鳩、佐藤溪、石野守一、真島直子、吉原航平、若林奮、黒川弘毅、佐々木誠、三宅一樹

越境者たち

こちら側と向こう側、三次元の世界と異次元の世界。その境を越え、常人とは異なる視点からこの世界を眺める者たち。彼らにはこちら側はなじみがたい場所であり、ときとして幻視や幻聴に襲われます。向こう側と通じることで、バランスを保つのです。中園孔二(1989-2015)は己が留まる世界に違和感を抱き、孤独の中に現れ、迫ってくる幻覚を描いています。

▶出品作家:宮沢賢治、草間彌生、岡本太郎、横尾忠則、馬場まり子、赤木仁、舟越直木、中園孔二、OJUN

★information

◾️会期
2023.8.26(土)〜10.15(日)

◾️会場
久留米市美術館

★詳しくは公式ホームページよりご覧ください。
https://www.ishibashi-bunka.jp/kcam/exhibition/20230826-2/

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